中村芝翫

Shikan Nakamura
中村橋之助改め 八代目中村芝翫
中村橋之助改め 八代目中村芝翫
中村橋之助改め 八代目中村芝翫
中村橋之助改め 八代目中村芝翫
中村橋之助改め 八代目中村芝翫
中村橋之助改め 八代目中村芝翫
中村橋之助改め 八代目中村芝翫
撮影:荒木大甫
昭和40年(1965)8月31日生まれ。
本名中村幸二。
屋号成駒屋。
七代目中村芝翫の次男。

昭和45年(1970)五月国立劇場『柳影澤蛍火』吉松君で中村幸二の名で初舞台。昭和55年(1980)四月歌舞伎座『沓手鳥孤城落月』裸武者銀八ほかで三代目中村橋之助を襲名。立役として時代物、世話物、新歌舞伎、舞踏など幅広い分野で数々の当り役を持つ。

『熊谷陣屋』熊谷直実、『義経千本桜』渡海屋銀平実は新中納言知盛、『俊寛』俊寛僧都、『御摂勧進帳』武蔵坊弁慶、『極付幡随長兵衛』、『東海道四谷怪談』民谷伊右衛門、『小笠原諸礼忠孝』岡田良助、『天保遊侠録』勝小吉、『鳴神』鳴神上人、『矢の根』曽我五郎など定評を持つ役は数多い。

また、テレビ・映画にも多数出演し、平成9年(1997)NHK大河ドラマ「毛利元就」では主演の毛利元就役を勤める。

平成23年(2011)日本芸術院賞。

所属事務所 太田プロダクション

中村芝翫の代々

初代
安永7年(1778)生~天保9年(1838)没
本名大関市兵衛。屋号加賀屋。初代中村歌右衛門の実子。加賀屋福之助を名乗る。寛政3年(1791)に三代目中村歌右衛門を襲名し、文化文政期を代表する名優となる。一時期、江戸へ下る時だけ俳名の芝翫を芸名として使用していた。天保7年(1836)に二代目中村芝翫に歌右衛門を継がせ、玉助を名乗る。時代、世話、所作事、また、立役、実悪、女方も得意とした。演技の創意工夫に優れ、多くの型を残す。
二代目
寛政15年(1798)生~嘉永5年(1852)没
本名平野吉太郎。屋号成駒屋。江戸下谷の茶屋の息子として生まれる。三代目歌右衛門に入門し、中村藤太郎を名乗る。鶴助の名を経て、文政8年(1825)、京都で二代目中村芝翫を襲名した。天保7年(1836)、四代目中村歌右衛門を襲名。師である三代目右衛門と同様、立役、実悪を本領とし、女方も兼ね、特に所作事を得意とした。
三代目
文化7年(1810)生~弘化4年(1847)没
屋号加賀屋。二代目中村東蔵の息子として生まれる。文化12年(1815)に中村西蔵を名乗り初舞台。その後、才蔵と名を変え、文化元年(1804)に三代目中村歌右衛門の養子となり中村駒之助を名乗る。文化9年(1812)に中村鶴助となり、天保7年(1836)に三代目中村芝翫を襲名する。容姿、口跡に優れ、将来を嘱望されていたが、早くに没する。
四代目
天保元年(1830)生~明治32年(1899)没
本名中村芝翫。屋号成駒屋。二代目中村富十郎の門弟中村富四郎の子として生まれる。父のもと、中村玉三郎を名乗り子役に出たが、のちに四代目中村歌右衛門の養子となり、中村政之助を名乗る。駒三郎を経て、天保10年(1839)、初代中村福助と改名する。万延元年(1860)に四代目中村芝翫を襲名。時代物を得意とし、立役、実悪、女方を兼ね、所作事にも秀でた。
五代目
慶應元年(1865)生~昭和15年(1940)没
本名中村栄次郎。屋号成駒屋。四代目中村芝翫の養子となり、初代中村児太郎の名で初舞台。明治14年(1881)、四代目中村福之助を襲名し、絶大な人気を集める。若くして九代目市川團十郎や五代目尾上菊五郎の相手役を勤めるなど次代を担う存在となった。明治34年(1901)には五代目中村芝翫を襲名。團菊没後の、明治37年(1904)坪内逍遥作の『桐一葉』の淀君で新歌舞伎の新境地を開いた。明治44年(1911)11月に、改築落成興行の第二期歌舞伎座にて、五代目中村歌右衛門を襲名した。明治末年から大正、昭和にわたり劇界をまとめ、歌舞伎座幹部技芸委員長、大日本俳優協会会長などを勤めた。風格あふれる技芸、気品ある口跡ともに備わり、時代を代表する俳優であった。
六代目
大正6年(1917)生~平成13年(2001)没
本名河村藤雄。屋号成駒屋。父は五代目中村歌右衛門、兄は五代目中村福助(七代目中村芝翫の父)。大正11年(1922)十月新富座で三代目中村児太郎を名乗り初舞台。昭和8年(1933)十一月歌舞伎座で六代目中村福助を襲名。昭和16年(1941)十月、十一月歌舞伎座で六代目中村芝翫を襲名。昭和26年(1951)四月・五月には、同年に復興開場した第四期歌舞伎座で、『妹背山婦女庭訓』お三輪、『京鹿子娘道成寺』白拍子花子、『金閣寺』雪姫で六代目中村歌右衛門を襲名。戦後の歌舞伎界を代表する存在として、その女方芸は圧倒的な評価を受け、数々の当り役を持つ。昭和35年(1960)のアメリカ公演を皮切りに、数多くの海外公演に参加。日本俳優協会会長、日本芸能実演家団体協議会会長を歴任。昭和39年(1964)日本芸術院会員、昭和43年(1968)重要無形文化財保持者(人間国宝)、昭和47年(1972)文化功労者、昭和54年(1979)文化勲章を受章。
七代目
昭和3年(1928)生~平成23年(2011)没
本名中村栄次郎。屋号成駒屋。五代目中村福助の長男として生まれる。祖父は五代目中村歌右衛門。叔父は六代目中村歌右衛門。昭和8年(1933)十一月歌舞伎座で四代目中村児太郎を名乗り初舞台。昭和15年(1940)9月に祖父、五代目歌右衛門が没すると六代目尾上菊五郎に師事。昭和16年(1941)十月、十一月歌舞伎座で七代目中村福助を襲名。昭和42年(1967)四月・五月歌舞伎座『鏡獅子』小姓弥生後に獅子の精、『助六』揚巻ほかで七代目中村芝翫を襲名する。女方として、品格と風格が漂う端正な芸を披露。古典、舞踊から新歌舞伎まで数々の当り役を持つ。平成元年(1989)、日本芸術院会員。平成8年(1996)重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。平成18年(2006)文化功労者。平成20年(2008)から平成23年(2011)まで日本俳優協会会長。